16年の秋に開催されたコミティア118の感想を書きます。
『60×70』 吉田誠二
解説がとても、とてもありがとうございます・・・
ツイッターいつも勉強させていただきます・・・
前回の『60×60』も素敵な本でしたが、今回の解説のありがたさはとんでもないレベルです。ありがたい。ありがたい。
描き方本でワンドロ題材の本がありがたい。最初の30分で印象を作ることができれば、あとは描き込みだし、そうすれば時間を詰め込めばなんとか近づけるはずだから・・・
その最初の30分!がわかるのが嬉しい!
『寝ノ國』 発行:キツネ / キツネイロ
彩度と印象の扱い方をとても勉強させて頂いています。
おまけのペーパークラフトもとてもかわいい。こんなおまけって作れるんだ・・・
メインビジュアルに採用されているイラストがとても素敵なのでポスターが欲しい。
『たいぼくログノート 木』『たいぼくログノート 林』たいぼく
私が好きな絵を描く、今にも死にそうなので色々応援したくなる人トップ3のたいぼくさん、生きてらっしゃった。らくがきノートの完成度が高いのは、描きたいものがはっきりしてるからなんだろうなぁ。人間のちょっとした瞬間が好きそうなところが好き。その一瞬から人格が生まれている感じ。上手く言えないので饒舌になるしかない・・・
出てくる人出てくる人のかわいさが異常なのはどうして?
『星霜筆の旅人』加藤旅人
SFにちょっと近めのファンタジーが好き、物語があると絵を読み解くのが楽しくなるね。文字が全然ないとファンタジー絵ってなんでもありだから、ストーリー物だとよく分からなくなるんだよね・・・
とか云々言わなくてもとてもぜいたくな本。設定本の2歩3歩先を描いてみたくなる良い本。
『百鬼夜行の誘い(改定版)』『下校物語』フジモトカズヤ
たまたま通りかかったところ、奇怪な生き物が歩いているような白黒のポスターがとても目立っていてふらふらと立ち寄ったらめちゃくちゃ良い漫画だった。
商業本も出しているらしい。何冊か出していてもおかしくないでしょう・・・
えっどこで他の話が読めるんだ。ツイッター検索しても出てこないぞ!
東京中野のタコシェにあるらしいが・・・
藤本和也のブログ(仮タイトル)/ウェブリブログ 本人のブログ。更新してくださいたのむ・・・どこで情報を知ればいいんだ・・・
どうしたらいいんだ・・・
『IEMEGURI』『IEMEGURI 2』ネルノダイスキ
この作者さんがすごく好きなのですごく語るしかない。しょうがない。そういうこともある。
前回のコミティアに行けず血の涙を流した手作り小冊子が欲しくてコミティアに行ったといっても過言ではない。ツッコミブレーキ不在なのに静かでシュールな手製折り本。
ネルノさん作品の緊張感の異様さは、不安定な状況の中を読者が泳がされた中に安定感のある人物に引っ張られることで起きる。描かれるのがどんなに異常な空間だとしても、作中における「ふつうのひと」が「ふつう」の反応をすれば、その空間はそのとき「ふつう」でありえる可能性を覘かせる。それは読者自らに、異常の中にある「ふつう」を探させる。そして親しみを半ば強制的に感じさせる。不慣れな外国旅行で、人間という、相手と自分の間にある最少公倍数を探すように。
目と口のある少し可愛らしいひと(ねこ)は感情移入を助ける姿だ。そのひとは反応する。世界のリアリティは、ある物語内でピントを合わせた対象の反応にもっともよく表れる。読者はその漫画の中の「ふつうのひと」の反応を参考に世界を旅する、そして異常な空間、異質な存在に対して「ありかも」と思える可能性を読みだし、読了した瞬間に、自分のその能力に戦くのだ。
・・・と思うけど単純につっこみながら読むのも面白い。「ありえないwww」「ないないwww」「おかしくねwww」と言いながら読むのも面白い。その時々で読み方を変える事もできる。つっこみ派、没入派、どちらも納得させる作風なのではないだろうか。2つの派閥はいま作った。
ところで名前の区切りはネルノ ダイスキでいいのだろうか、それは分からない。
このティアで夢の「「「全部ください」」」をしたのでまだ続きます。
『ALL NIGHT』ネルノダイスキ
白黒の画集。早くアニメーションを見たい。誰かこの瞬間を動かしてほしい。
あるんだけどね。もっと!!!!もっと観たいんです!!!!!欲望は底なしなので。
はやいところ世界各国10億人くらいにファンがついてネルノさんがやりたい制作に集中してほしい。
この音楽作ってる「まいわい」さんのCDも2枚買いました。かっこよくて心臓が痛くなりました。
全然関係ないけどこれを後ろで再生していたらVampilliaがかかりました。嬉しい。偶然にしてはできすぎている。
『131201』三谷めめ子 ネルノダイスキ
1つの単語から想起するストーリーの違いがかなり強く表れていて面白い。
ネルノさんは「異常の体験」をさせることで「(普段意識できない)通常を体験」させるし、三谷さんは「香りについて思う私」と「他人への想像」を描いている。
話を展開させる中心軸がずいぶん違うなと思う、そこが面白い。
『であいがしら』ネルノダイスキ
分厚い。内容も厚い。よって感想も厚くなります。
ネルノさんの1枚絵でも漫画でも、「ふつう」を代表する役割のネコさんの顔を何のためらいもなく隠したり崩したりするところが超好きなんですよ。
自分は顔を崩すより隠す方がなんとなく好きだけど、それは「安定しているかもしれない」可能性がまだ残っていて、それを臨みたい気持ちになるからだと思う。その向こうの顔は、ユニットバスのカーテンのように、自分の手を使わなければ分からない。でも自分の手ではその顔の前にあるものを取り除けない、絵だから。(170107:自分が頼りにしていたものが実は、)安定、安心、よりどころ、そうではないのかもしれない。そんなの、超いいじゃないですか・・・
(170106追記)ネコさんと自分との関係に何か既視感を覚えるのは、自分と他人との距離感そのものに似ているからだと思う。それは他人と同じように感じる。だからネコさんは私の中に、リアリティを以って存在する他人なのだ。リアリティとは距離感覚のことではないか。距離感覚とは何だ、お互いの不可侵領域を一人で仮定することだろうか。
ちょっと読んだけど、『エソラゴト』との比較もしたくなったし、ちゃんとネルノダイスキさんの記事を書かなければいけないなと思いました。のできょうはここまで。
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最後にまったく関係ないけど欲しい漫画本とか行く予定をつくる場所。